第12回 道徳性の育成
https://gyazo.com/bb03d4d9d9776d51391f0ce1d558e287
1.道徳性とは
「人のふみ行うべき道。ある社会で,その成員の社会に対する,あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として,一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく, 個人の内面的な原理」(広辞苑第六版)
つまり、社会で生活していく上で守るべき規範の集合のこと 規範の集合である道徳が、一人一人のあり方で受け入れられ、内面化されたもの
道徳性は生得的に決定づけられているものではなく, 生まれてのち,社会化されるプロセスの中で育まれるもの
日常生活の中で私たちが行動を起こす際には、自らの内面化された規範に照らし合わせてその行動が望ましいものであるかどうかを判断し、行動するかどうかを決めている。
内面化された規範としての道徳性だけでは,自分自身の具体的な道徳的行為のメカニズムは説明しきれない
「よくない」ということは分かっていても行動に移してしまうこともある
e.g. 赤信号でも道路を横断してしまう等
「望ましい」と思っていてもなかなか実行できないこともある
e.g. 電車でお年寄りに席を譲るのをためらってしまう等
現実世界での規範の実行には、規範の内面化プロセスとは別のメカニズムが存在している
両側面から道徳性を検討する必要性がある
認知的側面
特定の行動の善悪についての原理・規範の受容という道徳的判断
道徳的行為
実際にその原理・規範に従って行動する
2. 道徳性の発達
2-1. ピアジェの理論
彼は, 道徳の問題を行為の善悪の判断を含んだ問題ととらえ,その判断の基準としての規則に着目した(吉岡, 1992) ヒアジェは,まず,子どもの遊び場面の観察事例から,子どもの規則に対する認識を3つの段階に分けてとらえた 5歳以前の第1段階
規則は「やらなければならない」義務として認識されていない
子どもの行動を拘束する機能はもたない
子どもは自らの欲求に従って行動する
ただ, ある種の行動を何度も繰り返すことは観察され,規則の認識の芽生えらしきものはうかがわれる
6歳から9歳ごろまでの第2段階
子どもは, 規則を大人や年長の子どもなどの権威からの命令によるものと受け取り, 規則を絶対的で変えることのできないものととらえている
規則は, 理由の如何を問わず, その通りにしなければならない神聖不可侵なものとみなされ, 子どもの行動を, 規則通りのふるまいへと方向づける強い拘束力をもつ
9歳から10歳以降の第3段階
他者との相互理解という側面が重みを増し,規則は集団成員相互の合意によって定められ,また改変可能なものとして認識されるようになる
この段階では,自らの行動制御機能よりも, 他者との関係を支える社会的機能をもつものとして規則はとらえられるようになる
つまり, ピアジェによれば, 子どもの規則の認識は, 社会的相互作用を通じて, 大人の拘束・権威による他律的なものから, 自ら積極的にその生成・変容にかかわっていく自律的・協同的なものへと発達していくと考えられている(二宮, 1992) 個人の認識である道徳的判断の問題を,他者や社会との関係の中でとらえようとしたところに, ピアジェ理論の特徴を見ることができる
善悪の判断についての例え話を提示し, それに関する質問を重ねながら善悪について判断させる
ピアジェは, 3対の例え話を用いたが,そのうちの1つ(Piaget (1930/1957) より一部修正)
ジャンという小さい男の子がお部屋の中にいました。食事に呼ばれたので,食堂に入ろうとしました。 ところが、扉の後ろには椅子があって、その椅子の上にはコップが15個のせてあるお盆が置いてありました。ジャンは、扉の後ろにお盆があることを知らずに扉をあけたので、コップは15個とも落ちて, 全部割れてしまいました。
動機に悪気はないが過失によって多大な損失をひきおこした例え話
アンリという小さな男の子がいました。 アンリは, お母さんの留守中にこっそり戸棚のジャムを食べようとしました。椅子の上にのぼって手を伸ばしましたがジャムには手が届きません。無理に取ろうとして, 近くにあったコップひとつにさわってしまい, 落として割ってしまいました。
動機としては悪いと判断される部分を含むが損失は軽いという例え話
この例え話について, 話の内容を理解したかどうかを確認してから, どちらの子どもの方がより 「悪いと思うか」という判断と,「なぜそう思うのか」 と理由を尋ね,子どもの道徳的判断の結果とその根拠を探った
2つのタイプに分かれることが見出された
「コップを15個も割った」ので, 「ジャンの方が悪い」と損失の大きさという物質的結果によって判断する子ども
ピアジェはこの判断の背景には, 状況理解に際して他者の視点をとることができない自己中心的な思考と,大人の権威を鵜呑みにする形での規則理解があると考えた
「いけないことをしようとした」 かどうかという動機で判断する子ども
自己中心性から脱し、当事者(この例の場合はアンリ)の視点をとって、行為の意味や背後にある意図をも視野にいれた判断がなされていると考えた(吉岡, 1992) 両タイプの現われ方には年齢差があることが指摘されている
結果論的判断は年齢とともに減少し,10歳以降ではほとんど見られない
2つのタイプの平均年齢の報告
結果論的判断が7歳
動機論的判断が9歳
しかし、何歳までは結果論的判断によって,それ以上では動機論的判断によって判断するというような明確な段階を構成しているとは言い切れないこともピアジェが主張していることには注意すべき
2つのタイプの判断は, 一人の子どもに同時に見られることもある
2-2. コールバーグの道徳性発達理論
コールバーグ理論とピアジェ理論
道徳性の発達を他律から自律への大きな一元的な流れとしてとらえていた点においてピアジェ理論を踏襲している(首藤, 1999) コールバーグはより長いスパンで道徳的判断の発達をとらえた
ピアジェが12歳頃までの子どもの道徳判断の発達を示した
コールバーグは道徳的判断が他律から自律へと移行する時期を25歳頃と考えた
コールバーグ (Kohlberg, 1971)は, 「ハインツのジレンマ」と呼ばれる道徳的葛藤課題を用いて, 道徳性の発達段階を見出している ヨーロッパで、一人の女性が特殊なガンで死にかけていました。お医者さまは「ある薬を飲めば助かるかもしれませんが,それ以外に助かる方法はありません」 といいました。その薬は,最近ある薬屋さんが開発したものですが, その薬を製造するのに要した費用の10倍の値段がつけられていました。病気の女性の夫であるハインツは, その薬を買うために,すべての知人からできるかぎりのお金を借りてまわったのですが薬の値段の半分しか集まりませんでした。 ハインツは, 薬屋に妻が死にかけていることを話し,薬を安く売ってくれるか, 後払いにしてくれるようにたのみました。でも,薬屋は「それで金もうけをするからダメだ」と承知しません。ハインツは思いつめ,妻の生命を助けるために, 薬屋に押し入り,薬を盗みました。
この例え話を提示したのち, 「ハインツはそうすべきだったかどうか」の判断と,その理由他が尋ねられている
結果として, 表12-1のような3水準6段階の発達段階が提示されている
道徳的価値は出来事や行為のレベルや物理的な結果にある
「よくないって言われていることだからよくないんだ」「警察につかまるから」
道徳的判断の基準は他律的であり,罰や制裁を回避し,権威に服従する段階である
「罰は苦しいからよくない」 「妻を助けるためなのだから盗んでもいい」
自分もしくは他者の快・不快や欲求を満たすかどうかが正しさの判断において重要な意味をもつ
良い役割を行い,紋切り型の秩序や他者の意図にそむかないことに道徳的価値を認めている
「盗んだら家族からも非難されるから」「世間から後ろ指さされるから」
対人的規範を重視し,他者からの是認を求める
「そんなことをすれば社会秩序を破壊してしまうから」
現存の社会秩序を守ることを重視する
外的存在として個人を拘束していた道徳は完全に内面化され、その個人なりの自己調整のあり方を規定する力をもつようになる
「人権を考えれば,やむをえない部分もあるが, 人間が守るべき約束事はある」
道徳的価値の相対性への気づきが認められ,現存の社会秩序の維持ではなく, 人権という社会的契約や社会全体の福利など、より広い観点から規範を省察する段階 「自分自身の良心が許さないから」「このような場合でも罰を加える法律そのものが正義ではないので改正すべき」 社会的契約と自己の内面に形成された倫理原則の双方に則って道徳的価値が判断される
すべての人間の人格が尊重され,理想的役割取得に基づいて決定された社会的取り決めこそが正当であると考えられている
2-3. コールバーグ理論への批判
ギリガンは、コールバーグ理論は,あくまでも西欧的価値観に基づくものであり、非西欧社会にまであてはめて考察することに疑問を呈した
コールバーグは男性に当てはまりがちな 「正義」と「公正」の道徳性のみを扱っており、もう1つの道徳性発達の道筋として,「配慮と思いやり」に着目することを提案したのである(戸田, 1997) ギリガンは, 例え話のような抽象化された状況ではなく、より具体的な状況に応じた道徳的認知について考察すべきであると主張し,女性を対象として,実生活上の葛藤についても合わせて面接調査を行った
その結果として, 女性にとって道徳的問題は他者に配慮し, 傷つけないようにする義務としてとらえられており, 道徳のとらえ方に性差があることを見出し、配慮と責任の発達段階を提唱している コールバーグ理論が見落としてきた側面をも合わせて検討することにより, 道徳性の発達をより包括的にとらえることを主張した(山岸, 1992) 3. コールバーグ理論を活用した道徳の授業実践例
道徳性は「他律から自律へ」という大きな発達的流れをもつ
理論的には,発達段階があがるにつれて,自らのうちに取りこんだ内なる規範に則り,行動を自己制御する自律性が獲得されるはず
にもかかわらず,小学校,中学校, 高等学校と学校段階があがるにつれて, 校則は益々厳しくなり,有無を言わずに従うことが要求されるという矛盾が,日本の学校教育の現実として存在している
道徳的価値に関する葛藤を含む物語
小学校低学年向け資料においては,一つの道徳的価値についての当為をめぐる暮藤が扱われることが多いが,高学年向け資料では,二つ以上の道徳的価値の間での葛藤が扱われることも多い
小さい頃から仲良しのけい子とひとみの2人がいる。 明るく活発なけい子に比べて, ひとみは気弱で友だちもそう多くはない。 2人が一緒にいる時,廊下を走っていたひとみが隅にある花瓶を倒し,ひびを入れてしまった。その場は, けい子がひとみを助けたので, 大事なかったが、クラスの帰りの会で花瓶にひびが入っていることが問題になる。けい子はハッとしてひとみの方を見るが, ひとみはうつむいてしまった。 (荒木 (1988) を筆者が一部改変)
ここで, 「けい子はどうすべきか」 という判断と「そしてそれはなぜか」という理由づけの2つの問いが投げかけられる
この資料の中には, 「信頼・友情」と 「正義・勇気」という二つの道徳的価値がもりこまれ,子ども達は,登場人物を自分に引き寄せながら, 2つの道徳的価値について具体的に考えていくことになる
4. 道徳の教科化
4-1. 教科化の背景
小学校では2018年度から, 中学校では2019年度から道徳が 「特別の教科」となった
背景
いじめ問題の深刻化や対人関係に悩む子ども達の増加という, 子ども達の心の育ちの問題
他者を思いやり規範を大切にする心や自分自身を大切にする心,生命や自然を大切にする心が十分に育たないことが, 問題行動につながるとされたのである
学校行事や他の授業の補完に振り替えられてしまい, 年間35時間の授業時間が確保されていないことも多い
授業内容もパターン化し,資料の読解や感想文のようになってしまう等の形骸化も指摘される
こうした現状を改善するために、教科化により,授業時間と内容の担保が図られた
4-2. 教科化のポイント
道徳性は道徳教育によって育むことが目指される資質・能力 道徳教育は,教科化を見据えて2015(平成27)年に一部改訂された学習指導要領において, 「よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため,道徳的諸価値についての理解を基に,自己を見つめ, 物事を(広い視野から)多面的 多角的に考え,自己の(人間としての) 生き方についての考えを深める学習を通して, 道徳的な判断力, 心情, 実践意欲と態度を育てる」 ことを目標とすることが示されている
教科となることにより, 検定教科書を主な教材として用いることや内容項目の見直し, 指導方法の工夫と改善,評価の導入という変更があった(永田, 2017) 特に評価に関しては, 観点別や数値による評価ではなく,より広い視点から子ども達の道徳性にかかわる成長のようすを記述によって示すこととなった
道徳に数値による評価はなじまないとの意見や,特定の価値観の押し付けにつながるのではないかとの懸念
「特別の教科 道徳」の授業においては, いじめの未然防止に資することが求められ,指導方法の工夫としては, 児童生徒が道徳的な課題を自分自身の問題としてとらえ, 向き合う 「考える道徳」 「議論する道徳」への転換が図られている。(板橋, 2015) 具体的には, 先に紹介したモラルジレンマ教材を用いた授業などの「問題解決的な学習」が試みられている(荒木, 2017) また, 従来の道徳的心情に焦点を当てた授業から転換し,「分かっているけれども行動できない」という行動面に着目した「道徳的行為に関する体験的な学習」 として, ロールプレイなどを導入したモラルスキルトレーニングの授業への導入も提唱されている(林, 2013) 4-3. 道徳性育成の課題
道徳性の育成は、 「特別の教科 道徳」 の時間に限らず教育活動全体を通じて行われるもの
子ども達がより多面的・多角的な視点で自らの生き方を考える契機となるような機会を提供し,子ども達が自分なりの価値観を構築する支援をすることは, 学校の重要な使命といえる
「道徳」の時間で得られたものをどのように生活の中へ一般化していくか,その道筋を子ども達にどのように提示するか, そして, 学校全体,もしくは社会全体の道徳的環境を形成することが大きな課題